質問
 以前は本やコンピュータに記録するときに機械情報として保存されるイメージを持っていましたが、社会情報として捉えるのは人の心なので、人が「話す」とか「文字を書く」など何らかの方法で表現した途端、機械情報としての側面が現れて(1)、また、人や本から放たれた音や光を別の人が受容した時に初めて社会情報として認知される可能性が生まれる(2)、と考えるようになりました。
 言葉であることはわかるけど意味が分からない言葉、例えば「念仏」は、念仏を知らない人にとっては機械情報のまま止まるでしょう。そして自分なりの「意味」を心の中で構築できたら、その言葉は社会情報としての価値を持ち、同時にその意味がその人にとっても生命情報になる(3)と感じました。この認識だと社会情報と生命情報が対等な感じ(4)になりますが、基礎情報学を概ね(?)正しく理解できているでしょうか。
 質問らしい質問でなくてごめんなさい。※下線は伝道者による追記
質問者 「カルカン」さん

回答
 厳密には正しい理解とは言えません。

 解説・説明

 質問文全体からは、まずまずの理解をしておられるように思います。なので、質問にあるように「(概ね)正しいかどうか」と問われれば、「Yes」と答えることも不可能ではないでしょう。ただ、「概ね」とはどの程度の範囲を指しているのでしょう。そして、今回の質問がその範疇にあるのかと伝道師に問われたとすると、「No」とお答えするしかありません。それは、「カルカン」さんが言わんとしているだろうと伝道師が思うこと(伝道師の憶測)とは別に、「質問文が基礎情報学の論理的な許容範囲を超えている」と考えざるを得ないからです。

 一番の問題は下線部(4)のところで、伝道師が質問のタイトルとした箇所です。具体的には「…社会情報と生命情報が対等な感じに…」にある「対等」という言葉です。辞書によると「対等」とは「相対する双方・・・・・・の間に優劣・高下などの差のないこと」とあります。対等とは相対しているもの間の関係、つまり別物どうしの関係です。生命情報と社会情報が別物であるならば「対等」という日本語の表現が成立するかもしれません。しかし、ご存知のように生命情報と社会情報は包括関係にあり、社会情報は生命情報に含まれます。すなわち、社会情報は生命情報です。両者は別物ではないので、「対等」という関係にはなりません。逆に、生命情報と社会情報の関係に「対等」という言葉を使ったということから、「両者が別物であるという間違った理解がある」と伝道師は判断しました。ということで間違いとさせてもらいました。

 下線部(1)も気になります。一般的な社会情報は記号と意味のセットです(社会情報=記号+意味)。機械情報の定義は「社会情報から意味内容を捨象又は潜在化されたもの」ですから、社会情報における記号とは正しく機械情報のことです。つまり、一般的な社会情報には機械情報が含まれています。これは両者の包括関係からも明らかです。このルーム「Q&Aの部屋」の「2.無意識に発する言葉は社会情報?」で回答した通り 、心の中の思考や感情は生命情報であり、社会情報ではありません。この思考や感情である生命情報を、他人に伝えようとして何かしらの表現をしたものが社会情報です。これより、質問文にある「…表現した途端、機械情報としての側面が現れて、…」という記述は、適切ではありません。表現によって生じるのは、機械情報としての側面ではなく、社会情報そのものです。このとき受け手が意味を構築できない(成果メディアが動作しない)と、受け手にとっては社会情報ではなく機械情報になってしまうのです。もし「カルカン」さんが、生成AIが出力する情報を想定しているならば正解と言えるでしょうが、「人が」とありますので…。

 下線部(3)にも問題があります。まず質問文にある「社会情報としての価値」とは何を指しているのでしょうか。確かに社会情報に含まれている意味には価値がある・・・・・・・・・かもしれません。しかし、意味に価値を認めるかどうかは受け手の主観に依存します。中には無意味なことに価値を見出す人もいるかもしれません。基礎情報学において社会情報(含む機械情報)に対して価値判断に類するような事項はありません。さらにその後にある「…意味がその人にとっても生命情報になる」という記述も問題です。繰り返しますが、社会情報は生命情報に含まれます。なので、どんな形であれ社会情報を受け取ったのならば、それは生命情報を受け取ったことと同意です。つまり、受け取った社会情報から生命情報が新たに形成される・・・・・・ようなことは基礎情報学では想定されていません。もしかしたら、このルーム「Q&Aの部屋」の「7.成果メディアは機械情報から社会情報、生命情報を生み出す」と捉えても良いでしょうか?」の質問者の「松の木先生」さんと同じようなイメージをお持ちなのかもしれません。そちらのページをご参照下さい。

 下線部(2)は他の問題より軽めではありますが、論理展開の途中が飛ばされているのが気になります。前半の「人や本から放たれた音や光を別の人が受容」は生命情報の話で、後半の「社会情報として認知される可能性が生まれる」は成果メディアの話のようです。ですが、成果メディアに認知機能はありません。この部分の順序立てて書き直すとすると
  1. 他人や本などから放たれた音や光を生命情報として受け取り、
  2. 受け取った生命情報に記号(機械情報)が含まれると認知され、
  3. その記号に対して成果メディアの動作する(意味を構築できる)可能性があるならば、
  4. 受け取った人にとって社会情報となる可能性が生まれる。
となるでしょうか。4ステップで一つの文章にするのは難しいの箇条書きにさせてもらいました(チャッピーなら上手く書くのかな?笑)。なお、下線部(3)と下線部(2)に対する解説は非対称になっています。「社会情報の受け取り=生命情報の受け取り」ですが、「生命情報の受け取り≠社会情報の受け取り」です。両者の包括関係を考えればご理解いただけることと思います。

 最後に質問文に対する回答を書いているときに気がついた感想のようなことを述べささせていただいます。基礎情報学は、客観世界を否定し観察者の視点(視座)により、一つの現象に対して異なる解釈を行うことを認めています。逆に言うと、どの視座から解釈しているのが極めて重要になります。観察の視座が、情報の発信者なのか、受信者なのか、それとも第三者なのか。また、社会システムなのか、心的システムなのか。等々、観察視座が明確でないと議論を進めることができません。視座があやふやだったり、ブレがあったりすると、まともな議論も理解も望めません。質問者の「カルカン」さんに限らず、これまでに投稿された質問文には観察視座のブレがあるように思えます。基礎情報学においては、今取り上げているテーマがどの視座からなのかを常に確認する必要があります。そして、観察視座を明確にすることは、基礎情報学のより良い理解に繋がることでしょう。

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